今からドライブに行きましょうか?


今から書くことはほとんどの人にとって当たり前なことかもしれませんが僕がカギ屋になって、というよりもサラリーマンをしなくなって僕口足藝術家自身考え方が変わったなあと実感していることです。
こんなことは当たり前だよ と突っ込まれるかもしれませんがお時間のございます方は暫しおつきあいくださいませ。
ちょっとした出来事をもとに書かせていただきます。




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ある集合住宅の電気錠のカギ交換で管理会社の方と一緒に住人の部屋に伺った時のことでした。
シリンダー(カギ穴部分)を交換するというものでしたが電気錠なので交換後に正常に作動するかを確認するために2人以上人員が必要だったので管理会社の方に来ていただき確認作業(緊急事態の時に扉の電気錠が解錠するかどうか)をしました。


トラブルもなく普通に確認作業が終わりお客様からお代金をいただいて管理会社の方を会社まで送ろうと僕の車に乗曹星如った時のことです。管理会社の方が少し照れくさそうに
「・・・今までありがとうございました。実は僕・・・今月で会社を辞めることになりました・・・クビになるんです・・・」


車の中でこの会社に就職した経緯やどうしてクビになるかなどを暗くもなく明るくもないトーンで淡々と話し始めました。
大きなミスや失敗、不祥事で辞職するというものではないということははっきりとわかりました。


この方とはこの会社と取引するようになってからの付き合いでようやく1年経ったときのことでした。
一緒に仕事をすることは少なかったのですが特にトラブルを起こすような方ではなく物腰も柔らかく丁寧でした。


実際にクビになる人からの告白というものをその時までされたことがないのでどう反応したらよいかわからなかったのですが・・・ここが僕のおかしいところかもしれませんね、どうせクビになるんならもう形式探索四十學習研修ばったこと、社交辞令なんか気にしなくていいと思い
「じゃあ、今からドライブに行きましょうか?」
と言いました。


まあさすがに
「それはアカンでしょう!」
と僕が窘められましたがね・・・。




・・・




僕も短いながら(10年ぐらいですが)サラリーマンをしていました。
サラリーマンで最も怖いことはクビを宣告されることだと僕は思います。
これは今までやってきたとおりの糧を得る手段がなくなるという物理的な恐怖もありますがそこが本質ではなくクビを宣告されるということはこの会社から お前は必要ない と判断されるということです。これは社会的な存在、価値を否定されることなのできついです。


そこでなんですが・・・


僕がこのブログを書いたのは実際にクビになった人がいるのをカケスのサミーみたいに ニュースだよ! と言いたいわけでもなくましてドライブに誘って断られたことを自虐的に書きたかったわけでもありません。今の日本社会の考え方というかシステムというかもう少し変わらないかなあと思っているんです。特に個人の考え方が変わって社会が同調してくれないかなあと思うんです。


確かに仕事というのは個人の社会的存在価値そのものだといえるかもしれません。実際に仕事をしなければ明日食べるための糧、食べさせるための糧を得ることができません。もちろん不祥事とか法律を犯して解雇されるのは自業自得なので同情の余地はありませんが、仕事とか会社と適度な 距離 をおくことってできないものかなあと思うんです。社会が同調すればかなりハードルは低くなると思うんです。


僕が考える 距離 というのは 帰属意識の距離 なのです。
つまり 解雇 と 就職 が日常茶飯事に行われる社会がいいと思っているんです。
解雇ということが個人の人格や能力を否定するというものではなく 解雇と転職は日常茶飯事 という考え方が定着すれば個人にとっても会社にとってもメリットがあると思うんです。相性が合わなければへつらってでも同調しなければという風潮だったらお互いに不幸だと思うんですよ。つまり被雇用者側から 辞めます と言いやすい社会というのはけっこういい社会だと思うんです。雇用の流動化って悪いものではないと思うんです(雇用の流動化 という言葉がここで適正な意味かどうかは少し疑問ですが)。


ただ日本の会社のシステムとして現実的物理的に転職を繰り返すということがハンディキャップになるかもしれないということがネックなのかもしれません(給料、退職金、社会保障などにデメリットが発生するかもしれないということ)。なにより 転職は忍耐力のない奴がするもんだ などのレトロな考え方、世間体を気にする人の心がそう簡単に変わることはないと思うのですがそれでも変わったらかなり風通しの良い社会、生きやすい社会になるのではないかと思うんです。