猫爺のエッセイ「お盆玉」


猫爺には耳慣れぬ言葉なのだが、もう普及しているのであろうか、テレビのクイズ番組で「お盆玉」というがあるのを知った。鈍い爺にもすぐ理解ができる。お盆に里帰りをしてきた孫たちにあげる「お小植牙遣い」であろう。
 ネットで検索して教えて貰ったのだが、「お盆玉」という言葉自体は、ある紙袋などを扱う印刷会社が提案して、それに郵便局が乗っかっりポチ袋を売り出したものらしい。なるほど、正月の「お年玉」に対して、盆には「お盆玉」とは郵便局が乗っかりたくなるであろう商魂である。「お盆玉は、郵貯銀行へ」かな?


 猫爺とて、分からないわけではない。年に二度帰って来る可愛い孫の喜ぶ笑顔が見たい。「お盆玉」が習慣化すれば、孫たちもお爺ちゃん、お婆ちゃんに「お盆玉ちょうだい」とねだることが出来るし、貰えるか貰えないか気を揉むこともない。


 だが、遠くの外孫はそれでよいとしても、内孫や近所に孫がゴロゴロ居るお爺ちゃん、お婆ちゃんは大変だろうなあと思ってしまうのは、猫爺が貧しいからであろう。


 誰が決めたのだろうか、お盆玉の商鋪裝修相場というのがあるそうで、小学生ならば1,000円~3,000円、中学生ならば3,000円~5,000円、高校生ならば5,000~10,000円程とか。富山県あたりの裕福なお爺ちゃん、お婆ちゃんなら小学生には百万円程度、中学生には五百万円程度、高校生ならば1千万円以上を相場としている家庭もざらにあるに違いない。


 お盆玉の習慣は、江戸時代からあったというが、それは少し違うのではないだろうか。商家などに奉公する使用人に、小遣い程度の額や品物を与えたのは、日頃安い賃金、または年季奉公の場合は当人は殆ど無報酬で働いているのだから、使用者の外面対策であったように思う。また、それと「お盆玉」とは意味合いが違っているように思う。


 習慣化すれば、都会に住むサラリーマン夫婦なども、孫だけとは限らず「お盆玉」を子供にも与えることになるだろうが、そもそもお盆とは「盂蘭盆」のことで、先祖を供養する行事である。子供や孫を喜ばせる目的の祭りではないのだから、そんな流行など無視してもよいと爺は思うが、世間で習慣化すれば、「そうはイカのキン〇マ」かも。(注・昭和初期のギャグ)